好み、

「お兄ちゃん。大谷くんのホームラン見たかい?」

先週自宅近くの中華料理屋のカウンターで昼食を食べていた時のことだ。

不意に話しかけられ、話しかけてきた相手を確認せず

瞬間的に「ふぁい!」と返答をしてしまった。

誰が話しかけてきたのかを確認すると、私の左側にいたお爺さんだ。

全く知らないお爺さん。

耳に補聴器。服装はグレーのラコステセーターとチノパン。

上下グレー配色の見た目70後半~80代くらいのお爺さん。

表現は良くないが私の中の「ジジイ」と「お爺さん」の境界線は、

その人の身なりによってカテゴライズされる。

この人はグレーの同一配色という身なりだが、髪も綺麗に散髪されているし

目も俗世離れした目をしていない。

『ファッションなんて気にする年じゃあない。タンスの中にある服を引っ張りだして

着ているだけさ。だけど外に出るからそれなりの身なりにしなくちゃあ。恥ずかしいよなー』といった雰囲気を感じる人だった。

私は一瞬でこの人を「お爺さん」グループに入れた。

 

冒頭で全く知らないお爺さんと書いたが、実は知っている。

それはこのお爺さんのメニューの注文に引っかかりを感じていたからだ。

「お姉ちゃん。注文いいかな。小龍包、餃子、青菜の炒め物、かに玉を全部2つずつ」

注文を取ったお姉ちゃんも私もきっと思った。

「・・・量多くないか?」

「食べきれるのか?てゆうか、メインの料理はなんだ?」

「いやそもそもカウンターに置くことができるのか?いや、無理だろ。」

しかしバイトらしきお姉ちゃんは、売上を考えたのか(きっと考えていないだろうけど)淡々と注文を繰り返し、厨房にオーダーをしていた。

厨房も聞き返すこともなく、オーダーを受けている。

私は困った。

絶対にこの品数では、カウンター内のパーソナルスペースを侵してくる。

お客のペースを考えて、1品ずつ持ってくる気が利く店じゃない。

なんなら全部一緒に持ってくる。限られたスペースでは置けない。

そうすると左右のスペースに活路を見つける。

ただでさえ狭いカウンターは好きではないのに、他人の料理が侵攻してくるなんて。

まるでポーランドの気分。

侵攻してきたお爺さんの料理を私が誤って食べようものなら、それはもう大戦の始まりだ。

そんなことを考えていた時に、冒頭の話しをしてきた。

お爺「すごいな彼は。アメリカでもホームランが打てるんだな。」

私 「そうですね。規格外ですね。」

お爺「・・・・・・。」

私 「・・・・(なぜ。無視??。)」

お爺「彼はメジャーリーガーだな。もう」

私 「そうですね。すごいですね。(さっきの聞こえてたのかな?)」

お爺「・・・・・。」

続かない。というか明らかに私からの返答は求めてない。

思い返せば、お爺は私の顔をみて話しかけてきてはいない。

そうか、補聴器だと思っていたが耳につけていたのはラジオのイヤホンなのかも知れない。お爺はラジオと会話していたのだ。

これは地味に恥ずかしい。

お爺からしたら右側の知らない中年男性が相槌をしてくるのだ。

自分の独り言に侵入してくるんだ。お爺からしたら私がドイツだ。

下手な対応をしたら大戦が始まると心配させてしまったかも知れない。

お爺の記憶を呼び起こしてしまったかも知れない。

私は申し訳ない気分と恥ずかしさで、左肩を内側にいれて「お爺ブロック」をした。

このお爺ブロックは会話もさることながら、料理の侵攻も食い止めることになる。

最初からこうしておけばよかったのだ。

「お兄ちゃん。大谷くんのホームラン見たかい?」の質問は気になっていなが

この際、ラジオのDJか距離はあるが厨房の料理人に話しかけたんだろう。

と思いこむことにした。

そうこうしている内に、私の料理が運ばれてきたので食べることに集中した。

 

「多いな。」

次にお爺が発した言葉だった。

お爺ブロック中だったので、まじまじと見ることは出来なかったが

予想した通りお爺に運ばれてきた料理の多さに、お爺が漏らした感想だ。

幸いお爺の右側はお客が帰った後で、スペースがあったため大戦は回避したが、どう見てもお皿が多い。

70後半~80代が一人で食べる量じゃない。佐川急便のお兄ちゃんが食べる量だ。

照れ隠しなのか、お爺は私に笑顔を向けてきた。

その顔は推測だが『お兄ちゃん少し食べるかい?』といった感じの笑顔。

いや、たべねーよ。と私は思ったが、お爺は止まらない。

『この量は多いな。お兄ちゃん食べないよね?」

今回は確実に話しかけられた。確実だ。

どんなラジオの掛け合いを想像しても、こんな会話は存在しない。

0に近いが可能性があるとすれば、お爺がDJで街ブラの状況を電波に乗せているくらいだが、お爺は多いな発言より前は一言も発していない。(10分くらいだっただろうか。)放送事故になる。この可能性もない。きっとない。

ツイキャスの可能性があるかもしれないが、お爺はきっと知らない。

厨房の可能性もない。厨房に話しかける声量じゃないからだ。

ということは、ここで指すお兄ちゃんは私だ。「お兄ちゃん=私」のシンプル構図だ。

しかし、お爺。残念だ。本当に残念だ。

私は食べられないことはない。食べろと言われれば食べられる。

問題は量じゃない。

お爺とほぼ同じ料理を注文してことが問題なのだ。

そう、私は「天津飯セット(小龍包付き)と餃子」を注文していたのだ。

被っていないのは、青菜の炒め物だ。

「いやー。食べられないです。」とお爺に断りをいれると

「そうだよね」と答えるお爺。ようやく会話が成立した。

と同時に冒頭の「大谷のホームラン」のくだりは奇妙ではあるが

ラジオDJ or 厨房に話しかけた説が有望となった。

この会話をきっかにお爺は、私に話しかけてくるようになった。

「家族はいるのか?」

「仕事はしているのか?」

「海外にも会社の支店はあるのか?」

「健康なのか?」

etc・・・

私は答えられる範囲ではあるが、1つ1つの質問に答えた。

お爺も笑顔で聞いている。

しかし困ったこと2つがある。

1つ目は私の返答の後に、お爺も自分のことを話すことだ。

例えば「家族がいるのか?」の問いに「娘と妻がいます」

とシンプルに答えると「そうか、私はね・・・・」

それが長い。お爺だけではなく、お爺の息子夫婦のことまで話すから長い。

そして2つ目は、質問・返答・傾聴をお互い繰り返しているので料理が進まない。

なんならお爺は運ばれてから一口も料理を口にしていない。

店員からしたら「飯食えよ」と言いたくなるし、私は言って欲しかった。

「そうだ。お兄ちゃん。これ食べるかい?」

ようやく質問が終えたと思ったら、お爺はカバンからある袋をだしてきた。

「たい焼きなんだけど、食べられないからあげるよ」

いや、どこで渡しているんだ!飯屋だぞ!

「5個買ってきたんだけど、食べられそうにもないからさ」

大丈夫か?お爺!あんた!たい焼き5個買った足で、この店に来て小龍包、餃子、青菜の炒め物、かに玉のダブル頼んだのかい?胃袋のツマミが壊れたのか?満腹中枢が壊れたのか?なんだ!最後の晩餐にでもするつもりだったか?

もうお爺のやりたいことが分からない。受け取るべきなのだろうか。

お爺はまた照れ隠しの笑顔を向けてくる。もはや怖い。

「いいんですか?では、、、お言葉に甘えていただきます」

「そうか!ありがたいねー」といってお爺は袋からたい焼きを2つ渡してきた。

更の状態のたい焼きを。

「袋ないから申し訳ないけど」

「あっ。・・・・はい。」

袋くれよー!どうすんだよ!手持ちで帰るのかよー。

いねーよ。たい焼きを手に持って歩く中年。

とりあえず、いただいたたい焼きはティッシュの上に置いたが、持ち帰り方法に

困惑をしているとお爺が店員に声をかけた。

「お姉ちゃん。俺こんなに食べられないからタッパーくれないかな?持ち帰りで」

こんなにも何もあんたは、一口も食べていない。完全テイクアウト状態だ。

店員のお姉ちゃんは、特に違和感もなくタッパーを持ってカウンターの上に置いた。

餃子と小龍包をタッパーに詰めながらお爺は、話しを続けた。

「来週から入院なんだよ。この年になると色々悪くてね。」

「・・・・・そうなんですか」

「1ヶ月くらいの入院なんだけどね。楽しくないのよ。」

「年齢もあるからね。次があるか分からない。今日が最後の晩餐かもしれない。」

「お兄ちゃん。楽しかったよ。さようなら」

私は少し後悔した。

無茶な注文をしているお爺を少なからず「イカれた人」だと思っていた。お爺は食べることが目的ではなく、これから訪れる入院生活に備えて、食べたいものを注文したかったんだ。食べられれば良いがそれは「おまけ」。

目の前に広がる好きな料理を見ることで、気力を奮い立たせていたのだ。

タッパーにいれているが、お爺はきっと家に帰って夕食時にこの料理を広げるのだろう。気力を奮い立たせるために。

お爺の言葉に対して、なんにも言えない状況で私はあることに気がついた。

それはお爺の耳だ。ラジオだと思い込んでいたが、やはり補聴器だった。

なぜわかったか?それは耳から外れていて全体像を見ることができたからだ。

お爺は最初から私に話しかけていた。しかし、何かしらの理由で聞こえなかったんだ。

だから、お爺は補聴器を外して私の声を聴き取ろうとした。

質問に対して、シンプルに答えた自分に少し嫌気が差した。

もっと具体的に話すべきだった。もう少し愛想よく答えるべきだった。

中華料店のカウンターでこんなことを思う人間なんていないだろうけど、、、、

お爺は帰っていった。タッパーを手に持ち「さようなら」と言って。

私も帰ろうとカウンターに目をやると、空のタッパーが1つ置かれていた。

お爺がたい焼きように置いていってくれたのだ。

お爺の優しさに感謝し、帰宅した。

妻が手に持ってあるタッパーを見て「お土産?」と訝しげに聞いてきた。

私は「みたいなモノ」と答え、温めて食べた。

 

お爺。また会いたいです。中華料理屋で。

今度は天津飯食べてください。

そこまで美味しくはないかもですが、量はあるからダブルで頼む必要ないです。

あと、多分ですけど、きっと。

補聴器壊れてます。